2008年06月24日
クッシング病 難病(難治性疾患)指定決定
今日は、青空が広がる空模様。
ここ数日、ジメジメした日が続いたので、
とても爽やかに感じた一日でした。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、今日は、
嬉しいニュースの紹介です。
パパが、今でも後遺症に苦しむ病気「クッシング病」が、
昨日、難病(難治性疾患)の対象となり、
同時に、同じ下垂体による疾患の
「下垂体機能低下症」や「先端巨大症」も対象となりました。
難病に指定されると、
国の研究予算の配当がなされ、
画期的な診断法や治療法の開発や大規模な臨床研究に、
公費が充てられるということです。
その次の段階として、「特定疾患」認定となれば、
国や自治体の治療費助成により、
治療に大きな負担を抱える患者の負担軽減に繋がります。
パパは闘病中、
名古屋市民ということで、
負担額の軽減を頂けましたが、
今回の件で、
全国で同じ病気で苦しむ1,000人の仲間達にも
同様の負担軽減がなされる様になることを望みます。
自治体により、負担が異なることがない様、
日本全国、どの自治体でも、
同様の治療や負担となることも望みます。
また、金銭的負担は勿論、
肉体的負担もなくなる様、
クッシング病の画期的な治療法や
特効薬等の研究開発も望まれます。
最後になりましたが、
難病指定を勝ち取るために活動をされた方々に敬意を表します。
2007年03月09日
自覚症状 〜メタボリックシンドローム〜
今日は、とても良い天気でした。
でも、陽が落ちてからの冷え込みは、まだまだ和らぎませんね。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、最近、体調が優れないので、
月曜日のクッシング闘病記の続きです。
腎臓の検査を受けるというところまで、書かせて頂きましたが、
当時の、パパの自覚症状を書き忘れてましたので、
今日は、そのあたりのことを中心に記事を書かせて頂きます。
血圧が高すぎるということで、まずはその原因の探求するために、
腎臓の検査を受けることになったわけです。
でも、それには、パパの既往歴も関連していると思います。
中学生の頃、急性腎炎を患い、9ヶ月間の入院生活を送ったからです。
幸いにも、腎臓病は完治しましたが、血圧はずっと高めでした。
そんなことがありましたから、頭の検査をして欲しいといきなり言っても、
それより先に、病歴のある腎臓からというのがセオリーってことでしょうね。
自覚症状は、腎臓が痛いだとか、どうという症状はありませんでした。
只、血圧を測ったときに測定値が高めだと、
腎臓にも負担が係っているという知識はありました。
その他は.....、
それでは、まとめて上から順に行きましょうか!
頭は、全体的が凝って、四六時中鈍痛が前頭葉にあり、
時折、締め付けられる様な痛みが。
顔には、シミやホクロが一晩の内に出来、毛穴全てにニキビって感じ。
耳は、耳鳴りがし、耳の中がベタついたり、大量の耳垢、付け根にオデキが出来たり、
ボーッという低音だったり、キーンっいう高音だったり、ゴーッと言う轟音だったり。
目は、目が乾き、目に血管が浮き出、目玉が飛び出る様な奥からの痛み、
そして、大量の目垢が出、飛蚊症。
鼻は、異常に臭覚が高まり、鼻垢が大量に。
口は、唇や口腔内に大きな口内炎、
歯は、冷たいものでも熱いものでも染みる程、エナメル質が無い様な。
首や喉のリンパ腺は腫れて痛み、所々にオデキが。
肩や背中は、筋肉が硬直し、常時筋肉痛、五十肩。
胸は、肋間神経痛。
腕や手は、筋肉が落ち、箸やペンを握ることが出来ず、手のひらは骨と皮の状態。
腹部の脂肪は大量に付き、完全なメタボリックシンドローム状態。
肝臓は、勿論、フォアグラ状態。
胃は、滅茶苦茶痛み、四六時中、胃痛に悩まされ、
お陰で腸も動きが悪くなり、極度の便秘、でも、頻尿。
腰部は、椎間板ヘルニアで、骨盤がズレ、足の長さが互い違いに。
臀部は、足に掛けて、座骨神経痛。
膝は、真っ直ぐ伸ばすと痛みが走り、
脹ら脛や腿は、腓返りが直ぐ起き、激痛に襲われること日常茶飯事。
足の甲は裏は、どのツボを押しても激痛が走り.....。
症状が兎に角沢山で、これらに加え、全身の毛膿炎。
だから、身体中の毛膿炎から出血していました。
体臭もあり、加齢臭とは異なる嫌な臭いでした。
手足の爪は、反り返り欠け、そして捲れ上がりました。
そして、皮膚全体が弱くなっおり、
爪で触れただけでも皮膚が抉り取られ、出血した傷跡が今でも残っています。
関節や筋が痺れ、全身が冷え性になっていました。
風呂に浸かると、身体の周りの水温が下がり、
まるで水風呂に入っている様な感覚でした。
だから、お風呂の湯温は、47~48℃に設定しないと、
湯が冷たく感じ、湯船に入れませんでした。
後は、高血圧、低脈拍等々.....。
色々と、症状を列挙してきましたが、
今振り返ると、よくもこんな状態で、生活していたものだと、我ながら感心します。
前にも書かせて頂きましたが、
入院治療をする決定打となったのは、wifeの一言でしたが、
実は、書き忘れていましたが、自分自身のケジメとなる出来事もありました。
パパは、約束事は、忘れたことはありませんし、必ず実行して来ました。
特に、仕事に関しては、約束を忘れることなどありませんでした。
そんな或る日、クライエントとの定期ミーティングの日時をすっかりと忘れてしまい、
約束の時間を過ぎても来ないパパをオフィスまで訪ねてきて下さいました。
「bigsexyさん、今日はどうされたのですか?」
「今日、何かありましたっけ?」
「ミーティングですよ!」
「あっ!しまった!」
「やはり忘れておられたのですね!」
「全く、頭にありませんでした。申し訳ございません。」
「bigsexyさん、体調が相当悪いのではないですか?」
パパはこの時、クライエントに対するお詫びの気持ちよりも、
自らのミスが悔しく、許せない気持ちで一杯でした。
仕事をこのまま続けることは、周囲に迷惑を掛けると悟りました。
この時、休職という言葉が、頭を過ぎったのです。
そして、前にも書かせて頂きましたが、wifeのこの言葉に背中を押されたのです。
「パパ、辛かったら仕事休んでも良いんだよ。私がパパや子供達を守るから.....。」
こうして、パパは、病気治療へ専念することを誓うのでした.....。
「パパの病気なんか、僕が一舐めすればバッチリさぁ!」
2007年03月05日
教育入院目的 ~検査入院~
今日は、昨日の五月晴れの様な天気とはうって変わり、
雨が降り風が吹く、まるで春の嵐でした。
でも、午後からは回復し、穏やかな天候となりました。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、このカテゴリ、久しぶりの記事更新となります。
パパのクッシング病闘病記ということで、沢山の方々から反響を頂いておりますが、
なかなかコンスタンスに更新できず、申し訳なく思っております。
理由は、この記事を書き始めると、
どこで話を区切ろうか、話をどうまとめたら良いか等、
記事構成と編集に悩んでしまうからです。
大した文章ではないのですが、文章力がないから苦労するのでしょうね。
そろそろ、今回のお話をさせて頂きます。
前回は、入院直後の看護師によるカウンセリングのお話迄でした。
今回は、入院後のパパの生活をお話させて頂きます。
入院の名目は、糖尿病の教育入院ということでしたので、
プログラムを受けなくてはなりません。
プログラムは、2週間を1クールとして、
医師、看護師、薬剤師、栄養士、臨床検査技師、理学療法士が、
我々患者の指導に当たります。
こう書いてしまうと、教育入院が重病だから行われる感じがしますが、
目的は、糖尿病についての深い理解のための入院です。
プログラムの内容は、
医師を始め各々が、専門分野の講義を中心に、
その患者に見合った食事指導、運動指導を行い、
薬物治療が必要な患者には、
病状に合った口薬治療やインスリン注射等の薬物治療を提供と指導です。
平行して、患者各々の症状が、どの様な糖尿病のタイプなのか診断します。
また、他の病気との合併症がないか、精密検査も用い調べます。
このプログラムは、患者自身が、
糖尿病と真正面から向き合って付き合って行くため、
動機付けとして必要不可欠なものであると言われています。
パパも、Ⅱ型糖尿病と診断されてから、自ら血糖測定器を購入し、
自分なりに病気に対する知識を深め、
食事や運動及び処方薬による血糖のコントロールをしてきました。
でも、糖尿病を本当に理解するためには、必要不可欠なプログラムと言えます。
担当看護師からは、糖尿病の程度に係わらず、
糖尿病というものに対する理解を深めるためにも、
教育入院というプログラムは、有効なものだと諭されました。
パパにとって、今回のプログラムは、自ら行ってきたことの復習確認となりました。
教育入院でプログラムを受けるより、
パパには、重要な目的がありました。
それは、全身の精密検査です。
自らの現状の原因を解明したいというのがそれでした。
でも、検査を申し出てもなかなかして頂けず、血液検査程度でした。
退屈なパパは、各食前食後に、
病院の迎えにある公園の、満開の桜の中を散歩するのを日課にしていました。
日に日に、躓く回数が増え、足が上がらなくなり、引きずるような状態でした。
でも、血糖コントロールを、薬や注射に頼りたくはなかたので、
兎に角、運動療法のみで行えればと考えていました。
足の衰えに続き、手や口など、食事も苦労するようになりました。
朝食を取り、歯を磨き、薬を飲んで一段落すると、直ぐに昼食.....。
何をするにも、時間が掛かりすぎる様になりました。
こんな感じで、段々と、体力が低下し、散歩も出来なくなってきました。
外に出る気力もなくなったので、病棟内の廊下を歩くことで運動をしました。
ある時、検温に来られた看護師に、脈拍を測って貰いながら.....、
「お熱は何度でしたか?」
「35度6分です。」
「だいぶ低いですね。脈拍も少ないですけど、
何かの運動選手でした?」って尋ねられました。
「?????」
「一流のアスリートと同じくらいの脈拍だから.....。」
「もし、アスリートじゃなかったら、どうなんですか?」
「身体が弱っているってことになりますね。」
パパは、ゾッ!としました。
日に日に、何をするにも時間が掛かり、なかなか出来ません。
その上、異常に疲れてしまいます。
しかも、血圧は、上が200近く、したが100前後でした。
このことから、主治医は、まず、高血圧の原因を探ろうと提案してきました。
でも、パパは、頭を最初に調べてくれる様、頼みましたが、
順序としては、頭を調べるのは最後だと言われました。
兎に角、全身の検査をして、今の病状の原因を究明して欲しいと強く依頼しました。
結局、腎臓の検査から始めることになりました。
そういえば、入院して一度もテレビを付けてないことに気付きました。
そんな体力もないし、
第一、左目が頭の中から押し出され、
飛び出そうな痛みを常に感じ、眠ることはおろか、
目を閉じることさえ辛い状態でした。
例え眠ったとしても、尿意により、1時間もしないうちに目が覚めました。
腰の痛みにも悩まされながら、頭の検査を待つのは苦痛だなぁ.....。
パパ自身、そして犬君も、パパの頭の中に何かあると判っているのになぁ.....。
「早く検査してよ〜っ.....あ〜ぁ.....眠たくなっちゃったよ.....。」
2007年02月16日
wifeへの想い 〜入院カウンセリング〜
今日も昨日に続き、寒〜い一日となりました。
陽は照っていましたが風が強く、まるで冬日のようでした。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、今日は、入院初日に受けた、
看護師によるカウンセリングのお話です。
エレベーターに乗り込み、病棟階へ.....。
ドアが開きエレベーターから下りると、そこには眩しい光が注いでいました。
光の差す方向へ足を進めると、そこは病棟の食堂でした。
病棟は、階層の高いところにあり、街を見渡すことが出来ました。
眼下には、病院の向かいにある公園の桜が咲き始めているのが見えました。
ナースステーションを訪ね、入院の旨を伝えました。
直ぐに病室に案内されました。
そこは4人部屋で、既に3人の方が入院されていました。
その場で、入院に関する注意事項を話して頂いた後、
持ってきたスーツケースから着替えなどの身の回りの物をロッカーに収めました。
片付け終わり、ほっと一息つく間もなく、看護師さんに呼び出され、
詰め所の一角にある処置室で、入院に関するオリエンテーションを受けました。
糖尿病に関する色々なことを、今回の教育入院で学ばなければならないことと、
退院後も、自宅でそれらを確実に遂行できる様にならないと、
教育入院を繰り返し受けることになると言われました。
厳しいかも知れないが、それが出来なければ病の進行し、
何れ命を落としかねないとも厳しく言われました。
だから、教育入院は決して甘い物ではなく、厳しい物だと悟らされました。
教育入院の心得の話の後、
糖尿病に関する認識を確認されました。
家での生活、特に食生活について尋ねられましたが、
町医者の指示を厳守し、生活を送ってきたことをお話ししました。
運動に関する指示も守ってきたことを話しました。
一通り話を聞き終わった看護師さんからは、
今まで通りの生活を入院中も続けていれば大丈夫だと合格を頂きました。
その後、現在の精神状態を把握するということで、
看護師からのカウンセリングを受けました。
率直な今の気持ちを尋ねられましたので、
父親として、家族に対して迷惑をかけること、
夫として、wifeに重い負担を掛けさせてしまうことを恥じていると伝えました。
身体的現状は、悩みの原因となっているかとも尋ねられました。
悩みはというよりは、苛立ちというか、自分に対する怒りがあることを伝えました。
いつもwifeの側にいてやれず、守ってもやれず、
逆に、wifeをパパの立場に置いてしまわなくてはならない自らの不甲斐なさ.....。
それが、辛くて、苦しくて、胸が張り裂けそうだと.....。
それが、どうしようもないこと、どうすることも出来ないことを思い考えると、
憤りのない怒りと悲しみが湧き上がり、ただただ溢れる涙を堪えるばかりでした。
パパのwifeや家族に対する気持ちや思いを汲み取って下さった上で、
「そういったお気持ちの負担を和らげるのも私たちの仕事です。
負担を掛けてらっしゃるとお思いなら、元気になることが何よりです。
奥様を心の底から愛してらっしゃるお気持ち、十分に伝わりました。」と。
「ずっと家族のこと守って頑張ってきたんですね。
奥様に辛いところを見せまいと、無理して頑張ってきたんですね。
奥様のこと本当に愛していらっしゃるんですね。」と。
病室に戻り、ベッドに座り、一人wifeのことを思い、
溢れ続ける涙を拭いました.....。
「パパが辛いと、僕も辛くなるよ.....。」
陽は照っていましたが風が強く、まるで冬日のようでした。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、今日は、入院初日に受けた、
看護師によるカウンセリングのお話です。
エレベーターに乗り込み、病棟階へ.....。
ドアが開きエレベーターから下りると、そこには眩しい光が注いでいました。
光の差す方向へ足を進めると、そこは病棟の食堂でした。
病棟は、階層の高いところにあり、街を見渡すことが出来ました。
眼下には、病院の向かいにある公園の桜が咲き始めているのが見えました。
ナースステーションを訪ね、入院の旨を伝えました。
直ぐに病室に案内されました。
そこは4人部屋で、既に3人の方が入院されていました。
その場で、入院に関する注意事項を話して頂いた後、
持ってきたスーツケースから着替えなどの身の回りの物をロッカーに収めました。
片付け終わり、ほっと一息つく間もなく、看護師さんに呼び出され、
詰め所の一角にある処置室で、入院に関するオリエンテーションを受けました。
糖尿病に関する色々なことを、今回の教育入院で学ばなければならないことと、
退院後も、自宅でそれらを確実に遂行できる様にならないと、
教育入院を繰り返し受けることになると言われました。
厳しいかも知れないが、それが出来なければ病の進行し、
何れ命を落としかねないとも厳しく言われました。
だから、教育入院は決して甘い物ではなく、厳しい物だと悟らされました。
教育入院の心得の話の後、
糖尿病に関する認識を確認されました。
家での生活、特に食生活について尋ねられましたが、
町医者の指示を厳守し、生活を送ってきたことをお話ししました。
運動に関する指示も守ってきたことを話しました。
一通り話を聞き終わった看護師さんからは、
今まで通りの生活を入院中も続けていれば大丈夫だと合格を頂きました。
その後、現在の精神状態を把握するということで、
看護師からのカウンセリングを受けました。
率直な今の気持ちを尋ねられましたので、
父親として、家族に対して迷惑をかけること、
夫として、wifeに重い負担を掛けさせてしまうことを恥じていると伝えました。
身体的現状は、悩みの原因となっているかとも尋ねられました。
悩みはというよりは、苛立ちというか、自分に対する怒りがあることを伝えました。
いつもwifeの側にいてやれず、守ってもやれず、
逆に、wifeをパパの立場に置いてしまわなくてはならない自らの不甲斐なさ.....。
それが、辛くて、苦しくて、胸が張り裂けそうだと.....。
それが、どうしようもないこと、どうすることも出来ないことを思い考えると、
憤りのない怒りと悲しみが湧き上がり、ただただ溢れる涙を堪えるばかりでした。
パパのwifeや家族に対する気持ちや思いを汲み取って下さった上で、
「そういったお気持ちの負担を和らげるのも私たちの仕事です。
負担を掛けてらっしゃるとお思いなら、元気になることが何よりです。
奥様を心の底から愛してらっしゃるお気持ち、十分に伝わりました。」と。
「ずっと家族のこと守って頑張ってきたんですね。
奥様に辛いところを見せまいと、無理して頑張ってきたんですね。
奥様のこと本当に愛していらっしゃるんですね。」と。
病室に戻り、ベッドに座り、一人wifeのことを思い、
溢れ続ける涙を拭いました.....。
「パパが辛いと、僕も辛くなるよ.....。」
2007年02月05日
教育入院 〜出発〜
今日も清々しい朝でしたが、まだまだ冷え込みは和らぎませんね。
でも、暖かさは日に日に増し、春を感じさせます。
梅の木の蕾も、ぽつぽつと咲き始める今日この頃です.....。
皆さんは、如何お過ごしですか?
っというわけで、このカテゴリの記事更新は、一週間振りとなりました。
パパが、某大学病院へ入院する前後からのお話です。
入院名目は、糖尿病の教育入院ということで、期間は、二週間ということでしたが、
パパは、必ず本当の病因を究明してもらいたい気持ちで一杯でした。
その本当の病の治療に専念するため、職場には、一年間の休職を申し出ました。
収入の問題もありましたが、勿論、wifeと相談した結果でもありました。
当然、職場の上司は大反対でしたが、
同僚達は、パパのこの一年間の変わり様で、異常事態を理解してくれていました。
結局、上司からは、今後のことは、教育入院の結果次第ということで収まりました。
兎に角、二週間の教育入院の間に、真の病因を突き止めねば.....。
支えてくれるwifeのためにも、元気なパパに戻るよう、より決心を強めたのでした。
いよいよ、入院日の朝です。
昨日の晩は、家族揃って、wifeの愛情一杯の料理で夕食を取りました。
パパは、いつもの様に食欲不振でしたが、
不測の事態も踏まえ、出された料理を完食しました。
いつもは食べられない量でしたが、難なく食べることが出来ました。
この先、再び、我が家で家族全員、食卓を囲めないのではという思いが.....。
昨日の晩、wifeが着替えや日用品を詰め込んだスーツケースを傍らに置き、
迎えのタクシーを待つパパ.....。
wifeは、下の娘を幼稚園に送ってから、病院で合流予定.....。
一緒に居られない時間を想像するだけで、不安感に襲われ、心苦しくなりました。
程なくして、迎えのタクシーが家の前に到着しました。
スーツケースに気付いたドライバーが、トランクを空けてくれました。
「やりましょうか?」と言われ、「いえ、大丈夫です。」とは答えたものの、
スーツケースをトランクの位置まで持ち上げられません。
っというよりも、持ち上げることさえ出来ませんでした。
結局、「やりますよ!」と言われ、「すみません。」と一言。
力強いパパに、いつも片手で持ち上げられ遊んで貰っていた下の娘の目には、
非力なパパが、どう映っていたのでしょうか.....。
パパもさることながら、下の娘にとっても、相当ショックだったに違いありません。
病院に着き、スーツケースを引きながら、入院受付へ。
入院書類への記入が、また大変でした。
只単に、ボールペンで必要事項を記入すれば済むことなのですが、
パパにとっては、大変な作業で、苦痛を伴うものでした。
重いものは、腰部椎間板ヘルニアのお陰で、当然持つことは出来ませんでした。
しかも、全身の筋力低下と筋肉痛及び関節痛により、
箸を持つことも、ペンを握ることさえもが、痛みを伴う作業でした。
どうにか、ボールペンを握ることは出来ても、
筆圧を掛けると、直ぐに上の方へ滑っていってしまい、
力を入れられず、なかなか字が書けませんでした。
何とか、それこそミミズの這いずったような字で書き上げられました。
かなりの時間を要したのを記憶しています。
それから、エレベーターへ乗り込み病棟へ向かいました.....。
犬君の眺める先には.....。
でも、暖かさは日に日に増し、春を感じさせます。
梅の木の蕾も、ぽつぽつと咲き始める今日この頃です.....。
皆さんは、如何お過ごしですか?
っというわけで、このカテゴリの記事更新は、一週間振りとなりました。
パパが、某大学病院へ入院する前後からのお話です。
入院名目は、糖尿病の教育入院ということで、期間は、二週間ということでしたが、
パパは、必ず本当の病因を究明してもらいたい気持ちで一杯でした。
その本当の病の治療に専念するため、職場には、一年間の休職を申し出ました。
収入の問題もありましたが、勿論、wifeと相談した結果でもありました。
当然、職場の上司は大反対でしたが、
同僚達は、パパのこの一年間の変わり様で、異常事態を理解してくれていました。
結局、上司からは、今後のことは、教育入院の結果次第ということで収まりました。
兎に角、二週間の教育入院の間に、真の病因を突き止めねば.....。
支えてくれるwifeのためにも、元気なパパに戻るよう、より決心を強めたのでした。
いよいよ、入院日の朝です。
昨日の晩は、家族揃って、wifeの愛情一杯の料理で夕食を取りました。
パパは、いつもの様に食欲不振でしたが、
不測の事態も踏まえ、出された料理を完食しました。
いつもは食べられない量でしたが、難なく食べることが出来ました。
この先、再び、我が家で家族全員、食卓を囲めないのではという思いが.....。
昨日の晩、wifeが着替えや日用品を詰め込んだスーツケースを傍らに置き、
迎えのタクシーを待つパパ.....。
wifeは、下の娘を幼稚園に送ってから、病院で合流予定.....。
一緒に居られない時間を想像するだけで、不安感に襲われ、心苦しくなりました。
程なくして、迎えのタクシーが家の前に到着しました。
スーツケースに気付いたドライバーが、トランクを空けてくれました。
「やりましょうか?」と言われ、「いえ、大丈夫です。」とは答えたものの、
スーツケースをトランクの位置まで持ち上げられません。
っというよりも、持ち上げることさえ出来ませんでした。
結局、「やりますよ!」と言われ、「すみません。」と一言。
力強いパパに、いつも片手で持ち上げられ遊んで貰っていた下の娘の目には、
非力なパパが、どう映っていたのでしょうか.....。
パパもさることながら、下の娘にとっても、相当ショックだったに違いありません。
病院に着き、スーツケースを引きながら、入院受付へ。
入院書類への記入が、また大変でした。
只単に、ボールペンで必要事項を記入すれば済むことなのですが、
パパにとっては、大変な作業で、苦痛を伴うものでした。
重いものは、腰部椎間板ヘルニアのお陰で、当然持つことは出来ませんでした。
しかも、全身の筋力低下と筋肉痛及び関節痛により、
箸を持つことも、ペンを握ることさえもが、痛みを伴う作業でした。
どうにか、ボールペンを握ることは出来ても、
筆圧を掛けると、直ぐに上の方へ滑っていってしまい、
力を入れられず、なかなか字が書けませんでした。
何とか、それこそミミズの這いずったような字で書き上げられました。
かなりの時間を要したのを記憶しています。
それから、エレベーターへ乗り込み病棟へ向かいました.....。
犬君の眺める先には.....。
2007年01月29日
不安 〜残された日々〜
今日も良い天気でしたね。
陽が落ちると、まだまだ寒さを感じます。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、先週水曜日のBlogの続きです.....。
入院が決まったことでホッとし、精神的には幾分か楽になりましたが、
入院日までのカウントダウンが進むに連れ、
別の意味での精神的な重圧がのし掛かってきました。
やはり、「もし、重病ならばどうしよう?」という不安でした。
自分では、大変な病に冒されていることは解ってはいても、
できれば、病院に入院するまでもなく、直ぐに治って欲しいと思うのが本音。
wifeは、パパに何かあっても自分が家族を守ると言ってくれましたが、
wifeをそういう状態に追い込んだ自分の不甲斐なさ.....。
反面、wifeの逞しい面に触れ、嬉しくも思ったり.....。
兎に角、色々なことが頭を巡り、胸を締め付けられる日々を送りました。
犬君もそんなパパの不安を知ってか、
いつもパパの側を離れず、気遣ってくれました。
日々弱って行くパパが、犬君の世話をしている最中に、意識を失い横たわったときは、
傍らで心配し、寄り添ってくれていました。
パパが目を覚ますと、嬉しそうに飛び付いてきて、
いつもの様に顔の左側を舐めてきました。
犬君の顔を眺めるパパの「頭の中に何かあるんだろうな?」という問いかけに、
犬君は、「大丈夫!」と尻尾を壊れんばかりに降って、答えてくれている様でした。
そんな犬君に、パパの留守中のことを頼んだりもしました。
後に、このことがとんでもない騒ぎを起こすのですが.....。
この間に、丁度、犬君の散歩デビューがありました。
初めての散歩で、興奮気味の犬君に引っ張り回され、
挙げ句の果てに、犬君に引っ張られ、転んでしまう始末.....。
お陰で足を痛めてしまいましたが、
それよりも仔犬に引っ張られ、転んでしまったことにショックでした。
当時二歳半のパパJr.を抱くことさえ出来なかった位でしたし.....。
パパJr.にも買い物中に体当たりされ、陳列棚に倒れ込んだこともありました。
日に々、筋力が低下し、足が上がらず、平坦なところでも転んでいました。
立っているのも苦痛で、座っているのも、横たわっているのも、
関節や筋肉、そして骨が軋む様で、じっとしていることも出来ず、
歩けないくせに、歩いて動いているときが一番楽でした。
仕事から帰宅後は、眠れないせいもあって、
夜中中、ウォーキングをすることもしばしばありました。
睡眠時間は、30分程しか取れず、疲労を感じない感覚に陥っていました。
適切な言葉ではありませんが、壊れた状態でした。
子供達も、日々弱っていくパパを見るのが辛かったでしょうが、
でも、wifeと共に力を合わせ、パパを支えようとする健気な思いが、
パパの病と闘おうとする闘志に火を付けたことは、間違いありませんでした。
入院が決まる少し前に、結婚10周年を迎えたbigsexy夫妻でしたが、
ダイヤモンド入りのプラチナ製のアニバーサリーペアリングを贈り合いました。
高価な物でしたが、パパもwifeも、共に過ごした時間を大切に思っていたからです。
ここまで一緒に歩んだ10年を噛みしめ、
その思い出をリングに託す意味合いもありました。
結婚記念日に、毎年訪れるレストランでのことでした.....。
窓の外に見える美しい夜景の灯が、涙で揺らいでいました.....。
「今まで、ありがとう!」という、互いに向けた労いと感謝、
そして、来年また、ここで、こうして向かい合うことが出来るのであろうか.....。
そんな二人の思いが、
パパの病気で凍り付いた互いの心を燃やし涙としたのでしょう.....。
溢れる涙を抑えきれず、ただ何も言わず、互いを見つめる二人でしたが、
胸の奥は、まるで、暖かな陽に照らされているかの如く感じていました。
命ある限り、これから先も、ずっとwifeと過ごしたいという希望の光に.....。
もうすぐ、入院の日がやって来ます。
必ず元通りの身体になって戻るんだと心に決めて.....。
そろそろ、桜の花が咲く頃のことでした.....。
「鼻が痒いからといって、地面に擦りつけ流血した犬君」
陽が落ちると、まだまだ寒さを感じます。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、先週水曜日のBlogの続きです.....。
入院が決まったことでホッとし、精神的には幾分か楽になりましたが、
入院日までのカウントダウンが進むに連れ、
別の意味での精神的な重圧がのし掛かってきました。
やはり、「もし、重病ならばどうしよう?」という不安でした。
自分では、大変な病に冒されていることは解ってはいても、
できれば、病院に入院するまでもなく、直ぐに治って欲しいと思うのが本音。
wifeは、パパに何かあっても自分が家族を守ると言ってくれましたが、
wifeをそういう状態に追い込んだ自分の不甲斐なさ.....。
反面、wifeの逞しい面に触れ、嬉しくも思ったり.....。
兎に角、色々なことが頭を巡り、胸を締め付けられる日々を送りました。
犬君もそんなパパの不安を知ってか、
いつもパパの側を離れず、気遣ってくれました。
日々弱って行くパパが、犬君の世話をしている最中に、意識を失い横たわったときは、
傍らで心配し、寄り添ってくれていました。
パパが目を覚ますと、嬉しそうに飛び付いてきて、
いつもの様に顔の左側を舐めてきました。
犬君の顔を眺めるパパの「頭の中に何かあるんだろうな?」という問いかけに、
犬君は、「大丈夫!」と尻尾を壊れんばかりに降って、答えてくれている様でした。
そんな犬君に、パパの留守中のことを頼んだりもしました。
後に、このことがとんでもない騒ぎを起こすのですが.....。
この間に、丁度、犬君の散歩デビューがありました。
初めての散歩で、興奮気味の犬君に引っ張り回され、
挙げ句の果てに、犬君に引っ張られ、転んでしまう始末.....。
お陰で足を痛めてしまいましたが、
それよりも仔犬に引っ張られ、転んでしまったことにショックでした。
当時二歳半のパパJr.を抱くことさえ出来なかった位でしたし.....。
パパJr.にも買い物中に体当たりされ、陳列棚に倒れ込んだこともありました。
日に々、筋力が低下し、足が上がらず、平坦なところでも転んでいました。
立っているのも苦痛で、座っているのも、横たわっているのも、
関節や筋肉、そして骨が軋む様で、じっとしていることも出来ず、
歩けないくせに、歩いて動いているときが一番楽でした。
仕事から帰宅後は、眠れないせいもあって、
夜中中、ウォーキングをすることもしばしばありました。
睡眠時間は、30分程しか取れず、疲労を感じない感覚に陥っていました。
適切な言葉ではありませんが、壊れた状態でした。
子供達も、日々弱っていくパパを見るのが辛かったでしょうが、
でも、wifeと共に力を合わせ、パパを支えようとする健気な思いが、
パパの病と闘おうとする闘志に火を付けたことは、間違いありませんでした。
入院が決まる少し前に、結婚10周年を迎えたbigsexy夫妻でしたが、
ダイヤモンド入りのプラチナ製のアニバーサリーペアリングを贈り合いました。
高価な物でしたが、パパもwifeも、共に過ごした時間を大切に思っていたからです。
ここまで一緒に歩んだ10年を噛みしめ、
その思い出をリングに託す意味合いもありました。
結婚記念日に、毎年訪れるレストランでのことでした.....。
窓の外に見える美しい夜景の灯が、涙で揺らいでいました.....。
「今まで、ありがとう!」という、互いに向けた労いと感謝、
そして、来年また、ここで、こうして向かい合うことが出来るのであろうか.....。
そんな二人の思いが、
パパの病気で凍り付いた互いの心を燃やし涙としたのでしょう.....。
溢れる涙を抑えきれず、ただ何も言わず、互いを見つめる二人でしたが、
胸の奥は、まるで、暖かな陽に照らされているかの如く感じていました。
命ある限り、これから先も、ずっとwifeと過ごしたいという希望の光に.....。
もうすぐ、入院の日がやって来ます。
必ず元通りの身体になって戻るんだと心に決めて.....。
そろそろ、桜の花が咲く頃のことでした.....。
「鼻が痒いからといって、地面に擦りつけ流血した犬君」
2007年01月24日
糖尿病 〜教育入院?〜
今日も日が昇る前から犬君と散歩に出かけましたが、寒かったです。
辺りが明るくなっても、空の表情は曇り顔で、パパの体調も曇り気味.....。
でも、午後からは空も晴れ々した表情になりました。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、今日も長々とした昨日のBlogの続きを.....。
今日は、待ちに待った某大学病院での初受診のときのお話です。
紹介状を持って受診に伺った医師は、沢山の患者を抱えておられ、
予約分の診察が捌けたのは、午後1時を回った頃でした。
いくら紹介状を持って行っても、当日予約扱いの初診患者ですから仕方ありません。
昼食を取らずに待ち続けていると、やっとパパの名前が呼び出されました。
診察室に入ると、担当医はにこやかに迎えてくれました。
「どうしてこの病院に?主治医の薦めでですか?」と尋ねられたので、
「主治医からは糖尿病と診断されましたが、状態は悪化する一方で.....。
それを主治医に訴えたら、他の病院を紹介しましょうと。」
「他にも病院が沢山あるのにどうして?」と再度尋ねられたので、
「妻が私の様な症状の患者さんを看ておられる医師は、先生しかいない。」と。
「そうですか、わかりました。しかし、紹介状を見る限り糖尿病と診断とありますが?」
と尋ね直されたので、パパは胸を張って答えました。
「頭の中に何か居るんですよ!」と。
「ええっ!」と驚きながら担当医に聞き返されました。
「何が?」と。
パパは、自信を持って答えました。
「自分でも感じるのですが左目の奥の方に何かありそうで.....。
飼い犬も感づいているようで、しきりに舐め、臭いをかぐんです!」と。
「どうしたいのか?」と尋ねられたので、
「入院させて頂き、頭のてっぺんから足の先まで、全て調べて欲しい!」と。
「入院っといってもベッドが空いてない。」と渋い顔をされましたが、
病棟へ連絡を入れて下さって確認頂き、
「では、糖尿病の教育入院という形で受け入れましょう。」と承諾されました。
まずは、第一関門突破!って感じでしょうか.....。
付き添いのwifeも安堵の表情を浮かべておりました。
でも、ホッと胸をなで下ろすのもつかの間、この後、驚きの展開が.....。
でも、パパと犬君は、判っていたけどね!
「日向ぼっこして微睡む犬君」
辺りが明るくなっても、空の表情は曇り顔で、パパの体調も曇り気味.....。
でも、午後からは空も晴れ々した表情になりました。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、今日も長々とした昨日のBlogの続きを.....。
今日は、待ちに待った某大学病院での初受診のときのお話です。
紹介状を持って受診に伺った医師は、沢山の患者を抱えておられ、
予約分の診察が捌けたのは、午後1時を回った頃でした。
いくら紹介状を持って行っても、当日予約扱いの初診患者ですから仕方ありません。
昼食を取らずに待ち続けていると、やっとパパの名前が呼び出されました。
診察室に入ると、担当医はにこやかに迎えてくれました。
「どうしてこの病院に?主治医の薦めでですか?」と尋ねられたので、
「主治医からは糖尿病と診断されましたが、状態は悪化する一方で.....。
それを主治医に訴えたら、他の病院を紹介しましょうと。」
「他にも病院が沢山あるのにどうして?」と再度尋ねられたので、
「妻が私の様な症状の患者さんを看ておられる医師は、先生しかいない。」と。
「そうですか、わかりました。しかし、紹介状を見る限り糖尿病と診断とありますが?」
と尋ね直されたので、パパは胸を張って答えました。
「頭の中に何か居るんですよ!」と。
「ええっ!」と驚きながら担当医に聞き返されました。
「何が?」と。
パパは、自信を持って答えました。
「自分でも感じるのですが左目の奥の方に何かありそうで.....。
飼い犬も感づいているようで、しきりに舐め、臭いをかぐんです!」と。
「どうしたいのか?」と尋ねられたので、
「入院させて頂き、頭のてっぺんから足の先まで、全て調べて欲しい!」と。
「入院っといってもベッドが空いてない。」と渋い顔をされましたが、
病棟へ連絡を入れて下さって確認頂き、
「では、糖尿病の教育入院という形で受け入れましょう。」と承諾されました。
まずは、第一関門突破!って感じでしょうか.....。
付き添いのwifeも安堵の表情を浮かべておりました。
でも、ホッと胸をなで下ろすのもつかの間、この後、驚きの展開が.....。
でも、パパと犬君は、判っていたけどね!
「日向ぼっこして微睡む犬君」
2007年01月23日
wifeの心 〜パパの心身〜
今日の犬君との散歩は、パパの都合により、日の出の頃でした。
空気が肌に冷たく感じましたが、空の表情は明るく清々しかったです。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、一昨々日のBlogの続きです。
糖尿病以外の病状についての診察を受けたときのお話をちょっと.....。
当時、Ⅱ型糖尿病と診断され、
治療と言えば、血糖降下剤を食前に飲むよう指示されているだけで、
後は、運動をということで、朝晩1時間程のウォーキングをしていました。
症状も糖尿病特有のものが多く、パパは、その病名を疑う余地はありませんでした。
っというよりも、他に考えられず、それを信じてました。
でも、wifeは、違っていました。
パパが、徐々に弱っていく姿を目の当たりにしていたので、
肉体的だけではなく、
精神的にも他の病があるのではないかと疑心暗鬼になっていました。
それにより、パパとwifeは見解の相違から、しばしば衝突しました。
その他のパパの症状とは、
普通に立っていられないことと、身体を横たえることも苦痛な程の極度の腰痛でした。
wifeの勧めと当時住んでいた自宅から近い大病院ということで、
今後の治療のための通院を考え、
某大学病院より某赤十字病院の方で診て貰う方が良いと考えました。
この後の某大学病院での受診後、病室に軟禁状態?になるとは知らずに.....。
某赤十字病院では初診ということで、受付が開く前から伺いましたが、
初期手続きに時間を要するため、診察順序は後の方になってしまいました。
でも、あまり待つことなく、整形外科の診察順は回ってきました。
整形外科医に、「何故、某大学病院に入院するのに家の病院に来たのか?」
と当然のように尋ねられましたが、前述のような理由を話しました。
まずは、腰痛を訴えていたので、腰部のレントゲン写真を数枚撮られました。
あまりの酷い状態に、診察医は言いました。
「これは酷い。MRIを直ぐに撮りましょう。」と。
当然MRIは、数ヶ月前から予約を要するもので、その日に直ぐ撮るのは困難ですが、
丁度、キャンセルがあったようで、そこに当日予約ということで収まりました。
MRI撮影までの時間まで、どう過ごすかwifeと話ました。
パパは、時間が早いけど昼食を取ることを提案しましたが、
wifeは、他の診療科にも診て貰うのはどうかと提案してきました。
「何処で?」と尋ねると、「心療内科」と答えました。
パパは、予想もしない提案に「えっ!」っと呆気に取られましたが、
体調を崩して以来、自分ではそうでないと思っていても、
wifeを始めとする家族に、晴れない気持ちをぶつけたりしてたが.....、
パパ自身は、少しは苛ついてはいるものの、自らの心は大丈夫だと思っていました。
でも、ずっと長い間、涙とは無縁であったのに、
wifeの心に触れ、それを思い、溢れる涙を止められない程でしたから、
今まで、鎧を付けていたパパの心が、丸裸になっているのかも知れないと思い、
心療内科を受診することを承諾しました。
心療内科医からも「ご相談ごとは?」と尋ねられ、
「wifeに、精神的に参っているようだから、専門家に相談したら?」と言われたと。
「ご自分ではどう考えていますか?」との問いに、
「多少イライラがあるが、前と変わらないと思う。」と答えました。
そして、続けて、今までBlogで記事にさせて頂いた内容のことをお話ししました。
次に心療内科医は、wifeから客観的に見たパパのことを伺いました。
その後、この診察の前の予診で、
パパの普段の生活や趣味・思考等を尋ねられたり、
簡単な性格診断等を受けておりましたので、それを含めた総合診断を頂きました。
「貴方の精神状態に問題はありませんが、
珍しいタイプの人で、簡単に言うと、ストレスの感じ方に、他人と違いがある。」と。
「ストレスを受けている場面でありながら、それを感じないタイプ。」だと。
「例えば、他人のために尽くすことに喜びを感じ、
それによりストレスを受けるはずなのに、
本人は、精神的にも肉体的にも疲れをストレスと感じないで、
逆にそれを自らの喜びに置き換えてしまう珍しいタイプ」と診断されました。
パパは思わず心療内科医言いました!
「なるほど!心理学的には、そのように判断されるのですね!」と。
自分の性格は十分判ってはいましたが、
その性格自体が、自らをストレスの大海に投げ入れているのだとは、
微塵も思っていませんでした。
当に、目から鱗状態でした!
「では、どうしたらよいのでしょう?」と尋ねたら、
「真面目で几帳面、そして自分に厳しく、妥協を許さない完璧主義者タイプ。
だから、もっと気楽に、ルーズに過ごせば良い。」とアドバイス頂きましたが、
「難しいかも.....。」と答えると、
「貴方は、典型的なこのタイプですし、極度ですからね.....。」
と笑みで答えられましたが、パパも「そうですね!」と笑うしかありませんでした。
でも、根本の性格の矯正は、とても難しいものだと思いませんか?
そして、最後に一言付け加えられました。
「貴方のことを深く心配されている奥様も心配。」だと.....。
ここでも、パパはwifeに辛い思いをさせていたことを実感するのでした.....。
そうこうしているうちに、MRI撮影の時間が来ました。
初めての体験でしたが、噂程の閉所恐怖症的な苦痛も感じず終わりました。
結果は、「椎間板ヘルニアで、痛みがあるのならば手術もあり得る。」
と診断頂きましたが、腰に痛みを感じるものの、
不思議なことに、肝心のヘルニア部分には痛みがありません。
写真を見る限りでは、歩行困難との見解も出せる程とも。
腰以外に、首・肩・腕・背中・足等の筋肉がそれぞれ悲鳴を上げていましたが、
毎日、一時間以上のwifeのマッサージが功を奏したのでしょう.....きっと.....。
いよいよ、本丸へと向かうパパでした.....。
「捕らえられた宇宙人!?」
(注)パパに捕まり、嬉しいけれど、またまたびびり気味。
空気が肌に冷たく感じましたが、空の表情は明るく清々しかったです。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、一昨々日のBlogの続きです。
糖尿病以外の病状についての診察を受けたときのお話をちょっと.....。
当時、Ⅱ型糖尿病と診断され、
治療と言えば、血糖降下剤を食前に飲むよう指示されているだけで、
後は、運動をということで、朝晩1時間程のウォーキングをしていました。
症状も糖尿病特有のものが多く、パパは、その病名を疑う余地はありませんでした。
っというよりも、他に考えられず、それを信じてました。
でも、wifeは、違っていました。
パパが、徐々に弱っていく姿を目の当たりにしていたので、
肉体的だけではなく、
精神的にも他の病があるのではないかと疑心暗鬼になっていました。
それにより、パパとwifeは見解の相違から、しばしば衝突しました。
その他のパパの症状とは、
普通に立っていられないことと、身体を横たえることも苦痛な程の極度の腰痛でした。
wifeの勧めと当時住んでいた自宅から近い大病院ということで、
今後の治療のための通院を考え、
某大学病院より某赤十字病院の方で診て貰う方が良いと考えました。
この後の某大学病院での受診後、病室に軟禁状態?になるとは知らずに.....。
某赤十字病院では初診ということで、受付が開く前から伺いましたが、
初期手続きに時間を要するため、診察順序は後の方になってしまいました。
でも、あまり待つことなく、整形外科の診察順は回ってきました。
整形外科医に、「何故、某大学病院に入院するのに家の病院に来たのか?」
と当然のように尋ねられましたが、前述のような理由を話しました。
まずは、腰痛を訴えていたので、腰部のレントゲン写真を数枚撮られました。
あまりの酷い状態に、診察医は言いました。
「これは酷い。MRIを直ぐに撮りましょう。」と。
当然MRIは、数ヶ月前から予約を要するもので、その日に直ぐ撮るのは困難ですが、
丁度、キャンセルがあったようで、そこに当日予約ということで収まりました。
MRI撮影までの時間まで、どう過ごすかwifeと話ました。
パパは、時間が早いけど昼食を取ることを提案しましたが、
wifeは、他の診療科にも診て貰うのはどうかと提案してきました。
「何処で?」と尋ねると、「心療内科」と答えました。
パパは、予想もしない提案に「えっ!」っと呆気に取られましたが、
体調を崩して以来、自分ではそうでないと思っていても、
wifeを始めとする家族に、晴れない気持ちをぶつけたりしてたが.....、
パパ自身は、少しは苛ついてはいるものの、自らの心は大丈夫だと思っていました。
でも、ずっと長い間、涙とは無縁であったのに、
wifeの心に触れ、それを思い、溢れる涙を止められない程でしたから、
今まで、鎧を付けていたパパの心が、丸裸になっているのかも知れないと思い、
心療内科を受診することを承諾しました。
心療内科医からも「ご相談ごとは?」と尋ねられ、
「wifeに、精神的に参っているようだから、専門家に相談したら?」と言われたと。
「ご自分ではどう考えていますか?」との問いに、
「多少イライラがあるが、前と変わらないと思う。」と答えました。
そして、続けて、今までBlogで記事にさせて頂いた内容のことをお話ししました。
次に心療内科医は、wifeから客観的に見たパパのことを伺いました。
その後、この診察の前の予診で、
パパの普段の生活や趣味・思考等を尋ねられたり、
簡単な性格診断等を受けておりましたので、それを含めた総合診断を頂きました。
「貴方の精神状態に問題はありませんが、
珍しいタイプの人で、簡単に言うと、ストレスの感じ方に、他人と違いがある。」と。
「ストレスを受けている場面でありながら、それを感じないタイプ。」だと。
「例えば、他人のために尽くすことに喜びを感じ、
それによりストレスを受けるはずなのに、
本人は、精神的にも肉体的にも疲れをストレスと感じないで、
逆にそれを自らの喜びに置き換えてしまう珍しいタイプ」と診断されました。
パパは思わず心療内科医言いました!
「なるほど!心理学的には、そのように判断されるのですね!」と。
自分の性格は十分判ってはいましたが、
その性格自体が、自らをストレスの大海に投げ入れているのだとは、
微塵も思っていませんでした。
当に、目から鱗状態でした!
「では、どうしたらよいのでしょう?」と尋ねたら、
「真面目で几帳面、そして自分に厳しく、妥協を許さない完璧主義者タイプ。
だから、もっと気楽に、ルーズに過ごせば良い。」とアドバイス頂きましたが、
「難しいかも.....。」と答えると、
「貴方は、典型的なこのタイプですし、極度ですからね.....。」
と笑みで答えられましたが、パパも「そうですね!」と笑うしかありませんでした。
でも、根本の性格の矯正は、とても難しいものだと思いませんか?
そして、最後に一言付け加えられました。
「貴方のことを深く心配されている奥様も心配。」だと.....。
ここでも、パパはwifeに辛い思いをさせていたことを実感するのでした.....。
そうこうしているうちに、MRI撮影の時間が来ました。
初めての体験でしたが、噂程の閉所恐怖症的な苦痛も感じず終わりました。
結果は、「椎間板ヘルニアで、痛みがあるのならば手術もあり得る。」
と診断頂きましたが、腰に痛みを感じるものの、
不思議なことに、肝心のヘルニア部分には痛みがありません。
写真を見る限りでは、歩行困難との見解も出せる程とも。
腰以外に、首・肩・腕・背中・足等の筋肉がそれぞれ悲鳴を上げていましたが、
毎日、一時間以上のwifeのマッサージが功を奏したのでしょう.....きっと.....。
いよいよ、本丸へと向かうパパでした.....。
「捕らえられた宇宙人!?」
(注)パパに捕まり、嬉しいけれど、またまたびびり気味。
2007年01月20日
wifeの愛 ~パパの決心~
今日も晴れましたね。
寒さも和らいで参りました。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、好評を頂いておりますので、昨日のBlogの続きを.....。
パパが入院を決意した時のお話を少し.....。
犬君を飼い始めた頃のパパの状態と言えば、
当時、まだ本当の病名は判らず、
ただただ糖尿病と診断(血液検査により血糖値約450mg/dl)を受け、
自らの不摂生が病を招いたのだと反省し後悔をする日々を送っていました。
血糖のコントロールさえできれば、健常者と同様な生活を送ることができるのだと。
しかし、状態は一向に改善されず、悪化の一途を辿っていました。
また、肉体的にも精神的にも追いつめられて来ているような状態でした。
だから、wifeを始め、家族にも沢山の負担をかけていたと思います。
それが判るからこそ余計に思いが空回りし、悪い方向へと進む悪循環状態でした。
パパは、自分では薄々、身体の不調原因がどこにあるのか悟っていましたし。
もちろん、犬君からも教えて貰ってましたから、確信的な自信がありました。
でも、それが、何故、高血糖状態を作り出すのか知識はありませんでした。
家庭用の電池式血圧計や体温計、病院の超音波マッサージ機等が、
パパに対して、正常に作動しなくなってきました。
原因はずっと後で判ったのですが、脈拍、つまり心拍が原因でした。
心臓の鼓動が弱いので、脈圧及び脈拍も弱く、センサーが感知しないと。
また、体温も35度程しかなく、お風呂の温度も48度位にしても、
自らの身体の周りは水のように感じました。
そんな異常な状況と飛び出そうな左目の痛みと慢性的な頭痛により、
左側の脳に何らかの問題があるのではと思っていました。
このままでは、死も免れないのでは.....っと、いつも考えていました。
そんなパパのことをいつも思ってくれていたのが、愛しのwifeでした。
身体が軋み痛み、立っていることはもちろんのこと、
眠ることさえ苦痛だった氷のように冷たいパパの身体を、
毎日、どんなに自分が疲れていても、温かく柔らかな優しい手でマッサージしてくれ、
涙を流しながらそっと触れ、パパの傷んだ身体を労ってくれました。
そんな時、病状が悪化するパパにwifeが言いました。
「これだけ真面目に治療を受け摂生しているのに、何で病気が良くならないの?」って。
そして、「パパ、辛かったら仕事休んでも良いんだよ。
私がパパや子供達を守るから」と。
パパはこの言葉を聞き、ただただ涙が溢れるばかりでした。(←書いてる今でも)
そこで、パパは決心しました!
休職し、何だか判らない病気を治すことに専念しようと!
そして、昔のような生活を必ず取り戻そうと.....。
そこで、どこの病院で看て貰えば良いのか探さなければと思っていたら、
さすが我が愛しのwifeです、既に調査済みで、
某国立大学医学部付属病院の糖尿病・内分泌内科のとある教授を推薦。
そこで、かかりつけの医院で紹介状を書いて貰い、いざ大学病院へ.....。
大学病院に行けば、きっと糖尿病の状況が良くなるだろうと.....。
でも、犬君のことが心配でした。
何故って!?甘えん坊から悪戯坊主に進化している最中でしたから。
犬君のおかげで、病院と自宅の行ったり来たりの生活が始まるのですが.....。
その前に、某赤十字病院へ診察に向かいました。
某大学病院での予約受診日まで数日ありましたので、
極度の腰痛と足の痺れの原因を探るためです。
当時のbigsexy家は、こちらの病院の方が近くにありましたので、
今後、長期間を要するだろう腰痛治療は、
出来る限り自宅から近い方が、負担にならないと考えたからです。
病院の正面玄関の前には、大きな桜の木に付く沢山の淡い桜色の蕾が、
花を咲かす時を、未だか未だかと囁き合っているかのようでした。
パパは、思いました。
来年も再来年も、この先ずっと、桜の花を見たいなぁ.....。
寒さも和らいで参りました。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、好評を頂いておりますので、昨日のBlogの続きを.....。
パパが入院を決意した時のお話を少し.....。
犬君を飼い始めた頃のパパの状態と言えば、
当時、まだ本当の病名は判らず、
ただただ糖尿病と診断(血液検査により血糖値約450mg/dl)を受け、
自らの不摂生が病を招いたのだと反省し後悔をする日々を送っていました。
血糖のコントロールさえできれば、健常者と同様な生活を送ることができるのだと。
しかし、状態は一向に改善されず、悪化の一途を辿っていました。
また、肉体的にも精神的にも追いつめられて来ているような状態でした。
だから、wifeを始め、家族にも沢山の負担をかけていたと思います。
それが判るからこそ余計に思いが空回りし、悪い方向へと進む悪循環状態でした。
パパは、自分では薄々、身体の不調原因がどこにあるのか悟っていましたし。
もちろん、犬君からも教えて貰ってましたから、確信的な自信がありました。
でも、それが、何故、高血糖状態を作り出すのか知識はありませんでした。
家庭用の電池式血圧計や体温計、病院の超音波マッサージ機等が、
パパに対して、正常に作動しなくなってきました。
原因はずっと後で判ったのですが、脈拍、つまり心拍が原因でした。
心臓の鼓動が弱いので、脈圧及び脈拍も弱く、センサーが感知しないと。
また、体温も35度程しかなく、お風呂の温度も48度位にしても、
自らの身体の周りは水のように感じました。
そんな異常な状況と飛び出そうな左目の痛みと慢性的な頭痛により、
左側の脳に何らかの問題があるのではと思っていました。
このままでは、死も免れないのでは.....っと、いつも考えていました。
そんなパパのことをいつも思ってくれていたのが、愛しのwifeでした。
身体が軋み痛み、立っていることはもちろんのこと、
眠ることさえ苦痛だった氷のように冷たいパパの身体を、
毎日、どんなに自分が疲れていても、温かく柔らかな優しい手でマッサージしてくれ、
涙を流しながらそっと触れ、パパの傷んだ身体を労ってくれました。
そんな時、病状が悪化するパパにwifeが言いました。
「これだけ真面目に治療を受け摂生しているのに、何で病気が良くならないの?」って。
そして、「パパ、辛かったら仕事休んでも良いんだよ。
私がパパや子供達を守るから」と。
パパはこの言葉を聞き、ただただ涙が溢れるばかりでした。(←書いてる今でも)
そこで、パパは決心しました!
休職し、何だか判らない病気を治すことに専念しようと!
そして、昔のような生活を必ず取り戻そうと.....。
そこで、どこの病院で看て貰えば良いのか探さなければと思っていたら、
さすが我が愛しのwifeです、既に調査済みで、
某国立大学医学部付属病院の糖尿病・内分泌内科のとある教授を推薦。
そこで、かかりつけの医院で紹介状を書いて貰い、いざ大学病院へ.....。
大学病院に行けば、きっと糖尿病の状況が良くなるだろうと.....。
でも、犬君のことが心配でした。
何故って!?甘えん坊から悪戯坊主に進化している最中でしたから。
犬君のおかげで、病院と自宅の行ったり来たりの生活が始まるのですが.....。
その前に、某赤十字病院へ診察に向かいました。
某大学病院での予約受診日まで数日ありましたので、
極度の腰痛と足の痺れの原因を探るためです。
当時のbigsexy家は、こちらの病院の方が近くにありましたので、
今後、長期間を要するだろう腰痛治療は、
出来る限り自宅から近い方が、負担にならないと考えたからです。
病院の正面玄関の前には、大きな桜の木に付く沢山の淡い桜色の蕾が、
花を咲かす時を、未だか未だかと囁き合っているかのようでした。
パパは、思いました。
来年も再来年も、この先ずっと、桜の花を見たいなぁ.....。
2007年01月19日
宿命 ~犬君との巡り逢い~
今日のは、空気が冷たく案じましたが、澄んだ清々しい朝でした。
雲一つない空の下、犬君と気持ちよく散歩できました。
皆さんは、如何お過ごしですか?
っというわけで、一昨日のBlogの続きで、宿命的な犬君との巡り会いのお話です。
パパがwifeにしたある提案とは、
そうです!犬君をbigsexy家の一員として連れ帰ることです。
「この犬飼っても良い?」と尋ねると、
やっぱりそう来たか!って感じの表情で、少し考えてから答えました。
「その身体で、これからどんどん大きくなっていくこの子を世話できるの?」って。
そうなんです、wifeの言う通りで、その頃のパパの体力は低下の一途。
当時、2歳の長男を抱き上げることさえできない状態でしたし、
筋力はwife以下まで落ち、嘴やペンを持つこともできない程でした。
当時のパパの体力は限界で、食事を取ることでさえ苦痛に感じていましたが、
そんなところを人に悟られたくもなく、もちろんwifeの前でも強がっていました。
でも、そんなパパのことをwifeは全てをお見通しで、
大きくて強かったパパが、日に日に痩せ細って弱って行く姿を見るのが、
とても辛く悲しかったと聞かされました。
そんなパパのことを思い、パパの前では気丈に振る舞うものの、
パパが仕事へ行っているときは、泣いてばかりいたそうです。
ある日の夕食時、食欲というか食事を取ることでさえ苦痛になってきていたパパが、
wifeの作ってくれたその食事を、無理して半分食べたところで、
「ごめんね.....。もう食べられないよ.....。ごちそうさま。」っと言った途端、
wifeの目からは、止めどなく涙が溢れ出ました。
「今まで食べ物を残したり粗末に扱うことが大嫌いだったパパが残すなんて.....。
そんなに、苦しくて辛いんだね.....。」っと言う言葉を聞いた瞬間、
子供達の前でしたが、パパの目からも涙がドッと溢れ出しました。
その後、皆で一緒になって泣きました。
これが、家族の絆をより深めた瞬間であったことは言うまでもありません。
だから、とうてい犬を飼うことなど考えられなかったわけです。
でも、犬を飼うということに挑戦し、
これから先も頑張ろうという自らの意思表示が出来、
パパが、人生を全うしようとしている姿を見せられたことも良かったです。
一向に、パパにしがみつきペロペロ舐め続ける仔犬に対し、
次第に愛着を感じ、愛おしく感じていたパパは、もう一度wifeに提案しました。
「パパは、血糖コントロールのためにウオーキングをしなくちゃならない。
だから、そのお供に、この犬を連れて行きたい。」と。
wifeは、パパの有言実行的な性格を知り尽くしているので、
心の中では、パパがこの仔犬と離れることはないと悟っていたのでしょう。
「じゃぁ、犬の世話はパパが全てやるのよ!誰も手伝わないからね!」って。
続けてwifeは言いました。
「パパがこの子に会った瞬間の表情を見て、
あぁ、連れて帰ることになるんだろうな!」って。
Goサインが出れば、後はペットショップで一通り犬の身の回りのものを揃え、
我が家に迎えるだけです。
wifeには、「パパの責任で飼うんだよ!」って念を押され、帰路に就きました。
肉体的には限界値以下程でしたが、
守るべくものが増えたという使命感が、パパの病状の好転を生みました。
仔犬の世話で、パパはグッタリでしたが、散歩が出来る日を指折り数え待ちました。
仔犬の世話で体力を消耗し、そのまま低血糖状態になり、
その場で倒れ込んでしまい、その記憶がないということもしばしばありました。
風呂場やテレビを見ている最中にも.....。
だから心配したwifeは、パパから目が離せず大変だったと思います。
そんなパパでしたが、睡眠は30分程度しか出来ないことが、
もう一年以上を続いていました。
今思っても、よく生きていられたと思います。
愛するwifeや家族を守るため頑張らなければと言う思いだけで生きていましたが、
実は、そのwife達に支えられ、パパが生かされていたんだとつくづく感じます。
仔犬の予防接種を一通り終え、念願の散歩デビューも目前になり、
気分は最高!って感じですが、体力は限界で勘弁してぇ〜!って状態に.....!
その後のパパの運命は如何に.....。
「犬君4歳 〜大好きなパパに抱かれて〜」
(注)高所恐怖症なのに、パパに軽々と持ち上げられ、嬉しいけれどびびり気味。
雲一つない空の下、犬君と気持ちよく散歩できました。
皆さんは、如何お過ごしですか?
っというわけで、一昨日のBlogの続きで、宿命的な犬君との巡り会いのお話です。
パパがwifeにしたある提案とは、
そうです!犬君をbigsexy家の一員として連れ帰ることです。
「この犬飼っても良い?」と尋ねると、
やっぱりそう来たか!って感じの表情で、少し考えてから答えました。
「その身体で、これからどんどん大きくなっていくこの子を世話できるの?」って。
そうなんです、wifeの言う通りで、その頃のパパの体力は低下の一途。
当時、2歳の長男を抱き上げることさえできない状態でしたし、
筋力はwife以下まで落ち、嘴やペンを持つこともできない程でした。
当時のパパの体力は限界で、食事を取ることでさえ苦痛に感じていましたが、
そんなところを人に悟られたくもなく、もちろんwifeの前でも強がっていました。
でも、そんなパパのことをwifeは全てをお見通しで、
大きくて強かったパパが、日に日に痩せ細って弱って行く姿を見るのが、
とても辛く悲しかったと聞かされました。
そんなパパのことを思い、パパの前では気丈に振る舞うものの、
パパが仕事へ行っているときは、泣いてばかりいたそうです。
ある日の夕食時、食欲というか食事を取ることでさえ苦痛になってきていたパパが、
wifeの作ってくれたその食事を、無理して半分食べたところで、
「ごめんね.....。もう食べられないよ.....。ごちそうさま。」っと言った途端、
wifeの目からは、止めどなく涙が溢れ出ました。
「今まで食べ物を残したり粗末に扱うことが大嫌いだったパパが残すなんて.....。
そんなに、苦しくて辛いんだね.....。」っと言う言葉を聞いた瞬間、
子供達の前でしたが、パパの目からも涙がドッと溢れ出しました。
その後、皆で一緒になって泣きました。
これが、家族の絆をより深めた瞬間であったことは言うまでもありません。
だから、とうてい犬を飼うことなど考えられなかったわけです。
でも、犬を飼うということに挑戦し、
これから先も頑張ろうという自らの意思表示が出来、
パパが、人生を全うしようとしている姿を見せられたことも良かったです。
一向に、パパにしがみつきペロペロ舐め続ける仔犬に対し、
次第に愛着を感じ、愛おしく感じていたパパは、もう一度wifeに提案しました。
「パパは、血糖コントロールのためにウオーキングをしなくちゃならない。
だから、そのお供に、この犬を連れて行きたい。」と。
wifeは、パパの有言実行的な性格を知り尽くしているので、
心の中では、パパがこの仔犬と離れることはないと悟っていたのでしょう。
「じゃぁ、犬の世話はパパが全てやるのよ!誰も手伝わないからね!」って。
続けてwifeは言いました。
「パパがこの子に会った瞬間の表情を見て、
あぁ、連れて帰ることになるんだろうな!」って。
Goサインが出れば、後はペットショップで一通り犬の身の回りのものを揃え、
我が家に迎えるだけです。
wifeには、「パパの責任で飼うんだよ!」って念を押され、帰路に就きました。
肉体的には限界値以下程でしたが、
守るべくものが増えたという使命感が、パパの病状の好転を生みました。
仔犬の世話で、パパはグッタリでしたが、散歩が出来る日を指折り数え待ちました。
仔犬の世話で体力を消耗し、そのまま低血糖状態になり、
その場で倒れ込んでしまい、その記憶がないということもしばしばありました。
風呂場やテレビを見ている最中にも.....。
だから心配したwifeは、パパから目が離せず大変だったと思います。
そんなパパでしたが、睡眠は30分程度しか出来ないことが、
もう一年以上を続いていました。
今思っても、よく生きていられたと思います。
愛するwifeや家族を守るため頑張らなければと言う思いだけで生きていましたが、
実は、そのwife達に支えられ、パパが生かされていたんだとつくづく感じます。
仔犬の予防接種を一通り終え、念願の散歩デビューも目前になり、
気分は最高!って感じですが、体力は限界で勘弁してぇ〜!って状態に.....!
その後のパパの運命は如何に.....。
「犬君4歳 〜大好きなパパに抱かれて〜」
(注)高所恐怖症なのに、パパに軽々と持ち上げられ、嬉しいけれどびびり気味。
2007年01月17日
運命 〜犬君との出会い〜
今日は、目覚めた朝から、冷たい雨が降っていました。
でも、午後には上がり、冷え込みも和らいだ感じがしました。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、昨日のBlogの続きで、運命的な犬君との出会いのお話です。
新聞の折り込みチラシにペットショップまで導かれたパパは、
ここでもwifeに、「見るだけだよ!」って言い聞かされていました。
チョコレート・ラブラドール・レトリバーの仔犬が入るショーケースには、
沢山の人だかりが出来ていました。
初めて目にする茶色く光る体毛は、
今まで見たイエローやブラックのそれよりも美しく光り輝いてました。
パパは、一瞬にして目を奪われ、その仔犬の虜になりました。
順番を待ち、やっとその仔犬の前まで来られました。
ショーケース前に陣取り、コンタクトを取るwifeよりも、
どうも、腕組みをし、後ろに立っているパパの方を見ているようでした。
パパは、基本的には、初対面の動物にはアレルギー反応があり、
猫ならば、その毛で嚔、犬ならば、舐められ湿疹っといった具合でした。
体調も悪いことですし、遠巻きに見るだけと決め込んでいたパパに、
店員さんが、「ワンちゃんが抱かれたがってますよ!」って話しかけてきました。
「えっ!」っと、突然なことで驚きましたが、
ショーケースの前の人垣をかきわけながら、その店員は仔犬を抱いてパパの前へ。
その仔犬に見つめられ、内心抱いてやりたい気持ちで一杯でしたが、
体調のことを考えると躊躇するしかありませんでした。
でも、周囲の人々の「可愛い〜っ!抱っこした〜ぃ!」と言う声にも耳を貸さず、
ひたすらパパの前で、仔犬を抱いて差し出す店員さんに、
「さぁ!どうぞ!ワンちゃんも抱かれたがってますが、貴方も抱きたいでしょう!」
っと殺し文句を言われ、周囲の羨望の眼差しに曝され、快感に浸っていたパパは、
思わず手を差し伸べた瞬間、仔犬はパパの腕の中に飛び込んできました。
ふわふわな体毛とまん丸な目、そして、おしっこ臭い体臭.....。
当に、仔犬を抱いているという実感がしました。
今でも、このときの感覚が思い起こされます。
仔犬は、パパに抱かれると、すぐにあることをしました。
っというか、ずっとその行為をしてました。
そう、パパの頭の左半分、特に左耳から首筋、そして鼻や口を舐め続けました。
仔犬の顔を右側に持ってきても、すぐに左側に戻り、また舐め続けます。
不思議なことに、舐められたというのに湿疹も出ませんでした。
程なくして店員さんがパパに言いました。
「貴方のことを心配してます。
具合の悪いところを舐めて治そうとしていますよ。」って。
確かに、頭や顔首筋にまで毛膿炎が広がってきていましたから、
その膿みに反応しているのだと思っていました。
時折、耳や鼻、口の臭いを嗅いだりしては舐め続けてました。
「貴方の側にいて、貴方の力になり、仕えたいと思っているんですよ。」
っと、仔犬を買わせるような台詞を店員さんは言ったように思えますが、
パパにはそれが、そんな風には聞こえずに、本当のことだと悟っていました。
試しに、その店員さんも含め、wifeや周囲の人々に抱き渡そうとしても、
仔犬はパパの肩にしがみつき、ずっと舐め続けてます。
そのうちに、後から訪れたお客さん達には、「お宅のワンちゃん可愛いですね!」って、
まるで仔犬が、パパの飼い犬のように思われる始末でした。
「いえ、違いますよ!売られている仔犬ですよ!」
っと言うと、皆さん一様に驚かれた表情で、
「えっ!てっきりお宅のワンちゃんだと思いました。」って口を揃えて言いました。
皆にそういわれ続け、パパも悪い気はしませんでした。
そのうち、あるカップルの方々の会話が聞こえてきました。
「あっ!チラシに載ってた仔犬だ!」
「何〜んだ!もう飼い主が決まっちゃったんだ!」
それを聞いたパパは、「いえ!違いますよ!まだ飼い主は決まってませんよ!」
って言ったら、周りの人々が再び口を揃えて言いました。
「ここまで懐いていたら、もうお持ち帰りするしかないですよ!」と。
先程のカップルの方々に仔犬を抱き渡そうとしたら、
「ワンちゃんが貴方と居たがってるのだから、
それが一番良いんじゃないですか!?」と。
パパを取り囲む人々が全てこのペットショップの仕込み人ではない限り、
この仔犬と何らかの縁があるに違いないと、パパは強く確信しました。
どれだけの時間が経ったでしょうか?
パパは、wifeにある提案をしました。
それは.....。
「犬君3ヶ月 〜大好きなパパに抱かれて Ⅱ〜」
でも、午後には上がり、冷え込みも和らいだ感じがしました。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、昨日のBlogの続きで、運命的な犬君との出会いのお話です。
新聞の折り込みチラシにペットショップまで導かれたパパは、
ここでもwifeに、「見るだけだよ!」って言い聞かされていました。
チョコレート・ラブラドール・レトリバーの仔犬が入るショーケースには、
沢山の人だかりが出来ていました。
初めて目にする茶色く光る体毛は、
今まで見たイエローやブラックのそれよりも美しく光り輝いてました。
パパは、一瞬にして目を奪われ、その仔犬の虜になりました。
順番を待ち、やっとその仔犬の前まで来られました。
ショーケース前に陣取り、コンタクトを取るwifeよりも、
どうも、腕組みをし、後ろに立っているパパの方を見ているようでした。
パパは、基本的には、初対面の動物にはアレルギー反応があり、
猫ならば、その毛で嚔、犬ならば、舐められ湿疹っといった具合でした。
体調も悪いことですし、遠巻きに見るだけと決め込んでいたパパに、
店員さんが、「ワンちゃんが抱かれたがってますよ!」って話しかけてきました。
「えっ!」っと、突然なことで驚きましたが、
ショーケースの前の人垣をかきわけながら、その店員は仔犬を抱いてパパの前へ。
その仔犬に見つめられ、内心抱いてやりたい気持ちで一杯でしたが、
体調のことを考えると躊躇するしかありませんでした。
でも、周囲の人々の「可愛い〜っ!抱っこした〜ぃ!」と言う声にも耳を貸さず、
ひたすらパパの前で、仔犬を抱いて差し出す店員さんに、
「さぁ!どうぞ!ワンちゃんも抱かれたがってますが、貴方も抱きたいでしょう!」
っと殺し文句を言われ、周囲の羨望の眼差しに曝され、快感に浸っていたパパは、
思わず手を差し伸べた瞬間、仔犬はパパの腕の中に飛び込んできました。
ふわふわな体毛とまん丸な目、そして、おしっこ臭い体臭.....。
当に、仔犬を抱いているという実感がしました。
今でも、このときの感覚が思い起こされます。
仔犬は、パパに抱かれると、すぐにあることをしました。
っというか、ずっとその行為をしてました。
そう、パパの頭の左半分、特に左耳から首筋、そして鼻や口を舐め続けました。
仔犬の顔を右側に持ってきても、すぐに左側に戻り、また舐め続けます。
不思議なことに、舐められたというのに湿疹も出ませんでした。
程なくして店員さんがパパに言いました。
「貴方のことを心配してます。
具合の悪いところを舐めて治そうとしていますよ。」って。
確かに、頭や顔首筋にまで毛膿炎が広がってきていましたから、
その膿みに反応しているのだと思っていました。
時折、耳や鼻、口の臭いを嗅いだりしては舐め続けてました。
「貴方の側にいて、貴方の力になり、仕えたいと思っているんですよ。」
っと、仔犬を買わせるような台詞を店員さんは言ったように思えますが、
パパにはそれが、そんな風には聞こえずに、本当のことだと悟っていました。
試しに、その店員さんも含め、wifeや周囲の人々に抱き渡そうとしても、
仔犬はパパの肩にしがみつき、ずっと舐め続けてます。
そのうちに、後から訪れたお客さん達には、「お宅のワンちゃん可愛いですね!」って、
まるで仔犬が、パパの飼い犬のように思われる始末でした。
「いえ、違いますよ!売られている仔犬ですよ!」
っと言うと、皆さん一様に驚かれた表情で、
「えっ!てっきりお宅のワンちゃんだと思いました。」って口を揃えて言いました。
皆にそういわれ続け、パパも悪い気はしませんでした。
そのうち、あるカップルの方々の会話が聞こえてきました。
「あっ!チラシに載ってた仔犬だ!」
「何〜んだ!もう飼い主が決まっちゃったんだ!」
それを聞いたパパは、「いえ!違いますよ!まだ飼い主は決まってませんよ!」
って言ったら、周りの人々が再び口を揃えて言いました。
「ここまで懐いていたら、もうお持ち帰りするしかないですよ!」と。
先程のカップルの方々に仔犬を抱き渡そうとしたら、
「ワンちゃんが貴方と居たがってるのだから、
それが一番良いんじゃないですか!?」と。
パパを取り囲む人々が全てこのペットショップの仕込み人ではない限り、
この仔犬と何らかの縁があるに違いないと、パパは強く確信しました。
どれだけの時間が経ったでしょうか?
パパは、wifeにある提案をしました。
それは.....。
「犬君3ヶ月 〜大好きなパパに抱かれて Ⅱ〜」
2007年01月16日
糖尿病? ~パパの発病~
昨日までの晴天続きと打ってかわり、
今日の予報は、天気が崩れるとの予想でしたが、その通りでしたね。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、年も明けたことですし、
パパと犬君の運命的な出会いをお話しさせて頂くことにします。
これには、犬君の不思議な力の影響が多々あると考えます。
そのあたりのことも含め、お話を進めます。
パパと犬君の出会いのきっかけは、一枚の新聞の折り込みチラシでした。
それは、とあるペットショップの宣伝用のもので、
当時仔犬の犬君の写真が大きく載ってました。
パパは、一目惚れをし、wifeに「見に行ってみよう!と誘いました。
「飼うわけではないけど、会いに行くだけ。」と釘を刺されました。
実は、当時、パパの体調が崩れ、酷い状態でした。
歩くにも足が上がらず、突っかかって転んでばかりいました。
体重は、97kgから72kgまでに激減し、
椎間板ヘルニアに極度の毛膿炎(滅茶苦茶酷いニキビ)で、体中血まみれ状態。
身長は、ヘルニアと激痩せのおかげで2cm近く縮み、180cmを切ってしまいました。
当時、居を構えていた近所の病院の医師には、
「糖尿病を発症してますから、運動して血糖コントロールを行いなさい。」
と指導されてました。
だから、病気の治療に対して非常に真面目なパパは、
その言葉通り、毎日、朝晩各一時間以上散歩し、一日一万歩以上一生懸命歩いてました。
後に、このBlogのプロフィールにあるように、
クッシング病だということが判りましたが、
当時は、Ⅱ型糖尿病だと診断されていました。
どんな病状だったかと申しますと、
劇的な体調不良は、その一年程前から始まり、日に日に悪くなる一方でした。
仕事に穴を空けられず、持ち前の根性と我慢強さで乗り切っていました。
まず、腕に発疹が出始め、その数が時間と共に増し、膿み始めました。
そのころ、近所の病院にも通い始めました。
日々の体調の悪化と共に、体重も減って行き、見る見るうちに筋肉も落ちていきました。
だから、良く転んだり、冷えを強く感じるようになって来ていたのでしょう。
元々筋肉を鍛えていたパパは、衰えた筋肉を取り戻そうと、
ウエイトトレーニングとプロテインを用い、努力を試みましたが、
勢いを止めるには至りませんでした。
話が少しそれますが、当時、パパの嗅覚が凄い能力を発揮していました。
元々、鼻は効く方だったのですが、臭いに異常に敏感でした。
他の人より強く臭いを感じ取れ、普段は判らない人の体臭まで感じ取れました。
ある時、米国から輸入したプロテインが、パパの帰宅する前に宅配されていました。
二階の居間に置いてあったのですが、帰宅して玄関を開けた瞬間に、
チョコレート風味のプロテインが届いていることが判りました。
勿論開封していませんし、開梱もしていない段ボール箱の状態だったのにです。
荷を受け取ったwifeや子供達も、臭いには全く気づかなかったそうです。
だから、「ただいま~!」っとドアを開けたとたん、
「プロテイン届いたんだ!」ってパパが言ったとき、
wifeは「何で知ってるの?」って、薄気味悪がってました。
話を元に戻しますが、犬君の不思議な力のキーワードも「臭い」なのです。
それが、どんな力なのかは、近いうちにお話しします。
「犬君3ヶ月 〜大好きなパパに抱かれて〜」
(注)病気の時のパパです。今からでは想像付かない風貌と言われます。
今日の予報は、天気が崩れるとの予想でしたが、その通りでしたね。
皆さんは、如何お過ごしでしたか?
っというわけで、年も明けたことですし、
パパと犬君の運命的な出会いをお話しさせて頂くことにします。
これには、犬君の不思議な力の影響が多々あると考えます。
そのあたりのことも含め、お話を進めます。
パパと犬君の出会いのきっかけは、一枚の新聞の折り込みチラシでした。
それは、とあるペットショップの宣伝用のもので、
当時仔犬の犬君の写真が大きく載ってました。
パパは、一目惚れをし、wifeに「見に行ってみよう!と誘いました。
「飼うわけではないけど、会いに行くだけ。」と釘を刺されました。
実は、当時、パパの体調が崩れ、酷い状態でした。
歩くにも足が上がらず、突っかかって転んでばかりいました。
体重は、97kgから72kgまでに激減し、
椎間板ヘルニアに極度の毛膿炎(滅茶苦茶酷いニキビ)で、体中血まみれ状態。
身長は、ヘルニアと激痩せのおかげで2cm近く縮み、180cmを切ってしまいました。
当時、居を構えていた近所の病院の医師には、
「糖尿病を発症してますから、運動して血糖コントロールを行いなさい。」
と指導されてました。
だから、病気の治療に対して非常に真面目なパパは、
その言葉通り、毎日、朝晩各一時間以上散歩し、一日一万歩以上一生懸命歩いてました。
後に、このBlogのプロフィールにあるように、
クッシング病だということが判りましたが、
当時は、Ⅱ型糖尿病だと診断されていました。
どんな病状だったかと申しますと、
劇的な体調不良は、その一年程前から始まり、日に日に悪くなる一方でした。
仕事に穴を空けられず、持ち前の根性と我慢強さで乗り切っていました。
まず、腕に発疹が出始め、その数が時間と共に増し、膿み始めました。
そのころ、近所の病院にも通い始めました。
日々の体調の悪化と共に、体重も減って行き、見る見るうちに筋肉も落ちていきました。
だから、良く転んだり、冷えを強く感じるようになって来ていたのでしょう。
元々筋肉を鍛えていたパパは、衰えた筋肉を取り戻そうと、
ウエイトトレーニングとプロテインを用い、努力を試みましたが、
勢いを止めるには至りませんでした。
話が少しそれますが、当時、パパの嗅覚が凄い能力を発揮していました。
元々、鼻は効く方だったのですが、臭いに異常に敏感でした。
他の人より強く臭いを感じ取れ、普段は判らない人の体臭まで感じ取れました。
ある時、米国から輸入したプロテインが、パパの帰宅する前に宅配されていました。
二階の居間に置いてあったのですが、帰宅して玄関を開けた瞬間に、
チョコレート風味のプロテインが届いていることが判りました。
勿論開封していませんし、開梱もしていない段ボール箱の状態だったのにです。
荷を受け取ったwifeや子供達も、臭いには全く気づかなかったそうです。
だから、「ただいま~!」っとドアを開けたとたん、
「プロテイン届いたんだ!」ってパパが言ったとき、
wifeは「何で知ってるの?」って、薄気味悪がってました。
話を元に戻しますが、犬君の不思議な力のキーワードも「臭い」なのです。
それが、どんな力なのかは、近いうちにお話しします。
「犬君3ヶ月 〜大好きなパパに抱かれて〜」
(注)病気の時のパパです。今からでは想像付かない風貌と言われます。